山の行から里の行へ

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怒涛のタイ旅行からホーチミンへたどり着き、すぐさまこちらでの引越しに向けた物件探しで気の休まる間がないぼびおです。

昨夜、パートナーとふたりで色々と相談した結果、パートナーがなじみの不動産屋の子に丸投げしてくれることになりました。おかげで今日はやっと落ち着いてフヌケのようにぼーっとしています。

占星術熱はまだちゃんと続いていて、いつものように寝る間も惜しんで没頭する、そして突然飽きる、という感じではなく、毎日無理なく少しずつ本を読んだりサインを覚えたりするということを、なぜか自然とできています。

それは多分、一片の損得勘定もなく、ただ純粋に心の底からやりたいこと、魂の遊びだからだと思います。翻訳の勉強していた時は、「一刻も早く身につけて、お金にしなければ」と思っていたのですごく苦しかったんだなと。

ちょうど2015年秋から2016年中はずっと、心屋さんが私の精神の中心にあって、心屋式生き方の実践にかかりきりでしたが、今年2月8日の武道館独演会をもって一旦区切りがつきました。何周かラセン階段を上って次のステージに進んだ感じ。

フォローしているアメブロやFBアカウントも、これまで心屋界隈一色だったのが、今は一応ぢんさんはフォローしているけど、そのほかはほとんどアートや占星術に関わるアカウントにシフト。山の行から里の行へ。やりたくないことをやめてやりたいことをしっかりやる、という生き方を昨年、まる一年かけて身につけて、今年は実際にやりたいことに出会い、ダイブした感じです。

里に降りると、頑張る教の人、心屋なんて知らない人が大半です。昨年半ばまでは「頑張る教の人は迷惑だ。もっと力を抜けばいいのに」と他人(特に親)に押し付ける気持ちがありましたが、なぜかそういう力みも抜けてきて、今年に入ってからは「人それぞれの生き方がある」とごく自然に思えるようになりました。そうなると、頑張る教の人が旗を振っていてもなんとも思わなくなりました。

その変化を顕著に感じたのが、先月、実家の両親と三人でご飯を食べに行ったときです。

今までなら、両親の間に不和が生まれ、それを私が埋めようとする、という構図。
それが今回は、安い回転寿司で料理がいまいちで店員さんの対応が遅くて、父がイラついて母がなだめて、父と母がなぜか政治に関してだけはネガティブに意気投合して、今までならイライラしたに違いない状況なのに、心の底から「この人たちとこうしてこの世で一緒に居られるだけでなんて幸せなんだろう」という感謝の気持ちに満たされていました。そして、そのせいかどうか、父も母も口では文句を言ったりしても、なんとなくいつもより穏やかで、平和でした。

そんな自分=世界の変わりように驚きました。うまく言えないけど、人生で初めての感覚。ずっとそんな状態に憧れて、色々模索したり試行錯誤してきたのに、知らない間に夢が叶っていたのでした。

それには、占星術を学び始めて、「人の出生ホロスコープに同じものはひとつもない。みんな違う星のもとに生まれている」ということに思い至り、「人はそれぞれ違うのにこのやり方がいい、と押し付けることの無意味さ」をアタマで理解するだけではなく、心から実感できるようになった影響もあると思います。

そんな感じで、昨年と今年では自分の周りを流れる気がいつの間にかガラリと変わって、まるで別の世界に住んでいるような気分。二月ごろからは特に、昨年と同じ世界に住んでいるはずなのに、何かが決定的に違うという、なんとも言えない不思議な感覚があります。

今年はnoteの方に占星術に関して考えたことなど書いていきたいなと。あんなに焦っていたブログの書き分けも、すんなり落ち着いてきた感じ。ものごとは然るべきときに、然るべきかたちに落ち着くのだなぁ。焦らなくても、その「とき」は確実に来る。もちろん、焦ってもいいし。

(この記事は、前身のアメーバブログから転載したものです。)

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