在家の日々 強い慢心と怒りに向き合う

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ヴィパッサナー瞑想合宿から帰ってきて実家に住み始めて、あっという間に2週間以上が経ちました。

仕事をせずに家族の食事を作ったり祖母をスーパーに連れて行ったりしている間は余裕があったので、瞑想して、心も平穏に保てていました。しかし、そろそろホルモンバランスの崩れてくる新月前に近づくにつれて、また怒りの強い煩悩が出てきています。

数日前から翻訳の仕事を再開する準備を始めたこともあり、強い怒りと慢心、執着の煩悩が表に出てきています。

以前なら耐えられずにすぐに実家から自宅に戻っていたところです。今回はヴィパッサナーと怒りの生まれる仕組みの知識のあるおかげで、なんとか低空飛行を保つことができています。

たとえば今朝は昨日目覚ましを消したのを忘れて、と言っても潜在意識は承知のうえでそのままにしていたために、いつもより1時間遅く起き、朝食前の瞑想も一時間だけでした。

そのためかどうか、いつもは気にしないでいられる居間のテレビの音に耐えられなくなって、朝食を済ませてすぐにまた部屋で坐りました。

以前なら「私の家ならテレビがないのに」「やはり家族と一緒に住むのは限界がある」と思い込むところですが、今回はそこまで思ってから思い直しました。自分の中の怒りの矛先として「親のつけたテレビの音」を槍玉に上げているだけだと。

自分の乱れている状態で家族やほかの人と接することのないのが理想ですが、そうできないことの多いのが在家の生活です。そういうときには自分の呼吸を意識して、自分がいま煩悩の海に溺れている、と自覚するのが精一杯です。

それでも一日の終わる前に坐り、その日の怒りや執着、慢心を見つめ直す時間を持てるようになったことはこれ以上ない宝だと感じています。

もうひとつ、最近の課題が仕事です。

翻訳の仕事を再開しようとするとき、どうしても過去の実績や学歴が慢心として確固たる地位を築いているために、苦しみを生んでいる、ということがわかってきました。

瞑想合宿から帰ってきてから、純粋に暇だったので、何か社会の役に立つことを、しかも自分も没頭できて迷妄の煩悩を生まないような仕事をしよう、と思っていました。そこでどの仕事をするか色々と悩んだ挙句、以前やっていた翻訳の仕事をするのが修行にとっても結局一番都合がいいと考えて再開することにしたのですが…

以前は翻訳である程度活躍できていたという自負が邪魔をして、ブランクがあったりずっと営業なしのコネクションだけで仕事をしていたりとお嬢様芸であることを受け入れられず、「もっと自分はできるはずなのに」という慢心によって強いストレスを受けていました。

それに気がついて、「あぁこれも修行だな」ということがわかってきました。

瞑想実践者で私の師匠である空朴(小池龍之介)僧侶は、慢心という煩悩について語られることが多いです。在家の修行生活を始めてから、まさにこの慢心と自我への執着がいかに強いかを思い知らされています。

そもそも家族の役に立ちたいという思いも、半分は純粋な奉仕の気持ちからだったとはいえ、半分は「家族の役に立てる私」「家族からありがたく思われる私」「オレ最高」という強い慢心が底にある、ということに気づき始めました。

自分が疲れていても祖父母にいい顔をしようとしたり、がんばって食事の用意をしたり、というのはもうどう見ても慢心の表れです。「自分にはもっと能力があるはずだ、もっとかんばれるはずだ」と思っているのです。

不思議なことは、こういう慢心や怒りに気がついた日は、毎晩聴いている小池師匠の法話の動画などで必ずと言っていいほど、その苦しみを解くようなお話を聞いたり読んだりすることです。その時の自分に必要な情報が必ず与えられる、というのを感じています。

こんな風に一進一退ながらですが、少しでも煩悩の結び目を解いていくことができるよう精進していきます。

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