毒親問題のその後 記憶の浄化の日々

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瞑想合宿を終えてからちょうど1ヶ月間実家に滞在して、両親や祖父母、弟家族と生活しながら、夕食を準備するなど自分にできることをしていました。それとあわせて翻訳のお仕事を再開するために、腕慣らしを兼ねて翻訳コンテストに応募したり、もちろん瞑想も続けたり、充実した日々を過ごしていました。

そしてパートナーのペロちゃんが帰国するのでいまは一旦、実家から自宅に戻ってきています。

家族、特に両親とは19歳で上京してからほとんど同居してきませんでした。一緒にいると潜在意識に蓄積された怒りの記憶が刺激されて、数日もいるといてもたってもいられなくなり、引き上げる、というのを繰り返していました。

以前にも書きましたが、今年の夏には両親との記憶を洗い出して、毒親本を読んだり、親に手紙を書いたりして向き合い、もう縁を切ってもいいや、と全く連絡を取らないで過ごしていました。

心屋さんのこの本を読んで、「親を捨ててもいい」と思えたおかげで少し楽になったりして。

お母さん、年末、実家に帰らなければダメですか?−−もっとラクに! もっと自由に! ワクワク輝いて生きるために大事なこと

でも、19で実家を出て以来、一度も帰らなかったという占星術の松村先生みたいにはいかず、家族のことはずっと気になっていました。

毒親本に従って親に出さない手紙を書いたり、心屋さんの本を読んだりして楽になってきて、吹っ切れた頃に一度実家に帰りました。そしてすぐにヴィパッサナー瞑想合宿へ。

瞑想合宿では左腕が取れそうなほどの激痛が続き、10日目にはだいぶ薄れて消えていき、それとともに心の表面を覆い尽くしていた毒が消えて、今までの人生で一番息をするのが楽になりました。

するとごく自然に家族のために自分のできることがあればしてあげよう、と思うようになり、合宿からそのまま実家に戻って過ごしていました。

ただ、毎朝毎晩、昼間もできる限り瞑想の時間を取るようにしていても、合宿直後のあのキラキラとした振動数の高い状態をそのまま維持することはできません。

自分の一番大きな怒りと執着、迷妄の三大煩悩を刺激してくる相手=両親とともに生活するというのは、日々が修行そのものです。

もしヴィパッサナー瞑想を知らないままなら、3日で根をあげていたと確信しています。今までは実際にそうだったし。

イライラしたり怒りを覚えたら、とにかく坐る。座って、その怒りや執着を観察する、というのを続けていました。

すると、まずとても怒りっぽかった父親が目に見えて穏やかになってきました。まだテレビに向かって暴言を吐いたりしていますが、そして私の心もそれに対して反応してしまいますが、できるだけ怒りの反応を自覚しつつ、慈悲の心を持てるように(すごく難しいけど)していると、1日、また1日と父のあり方が穏やかになっていくのが感じられました。母も、父方の祖母も「穏やかになったね」と言うほどでした。

そうして父親に変化が見られるようになってきて気がついたのは、一番のラスボス(笑)は母親だ、ということです。

父は暴言という形で怒りや執着の煩悩を目に見えやすく表現してくれるので、その都度自分の反応を浄化することができますが、母と一緒にいると、楽しく過ごしていたのに、知らない間に心がイライラしているのです。

母は我慢して溜め込んでいるものが多いんだな、と思うと同時に、私自身がそうなのだ、と気づかされました。心の奥底に、たくさん怒りや執着、迷いの記憶が溜め込まれているのです。

昨日も台所でベーグルを作っているときに、母親が取り止めのないことを話題に次々と話しかけてきて、イライラしてきたので、一旦パン生地をこねるのをやめて自室に引き上げて、短時間瞑想しました。すると楽になり、なんとかベーグルに怒りの記憶を練り込まずにすみました。

一旦実家から引き上げて、今度はパートナーとのクリーニングの日々が始まります。ホ・オポノポノで言われていることと、ヴィパッサナー瞑想をはじめ原始仏教で言われていることは面白いほど一致しています。

日々クリーニング、Just do it

毎日瞑想しているのに、どんどん底から記憶が湧いてでてきます。今は特に背中や腰骨に溜め込んだ記憶と向き合っています。瞑想していると、そこに何か「詰まり」があるのが感じられるのです。面白いです。

ちょうど瞑想合宿に出かける前に、「明確な目標に向かって日々取り組める仕事が何か欲しいな」と思っていました。まさにそれが今、与えられています。

今週の木曜日からは、またパートナーと熊野古道の小辺路を歩いてきます。テント4泊の予定です。歩行瞑想の修行ができるかもしれません。

そのあとは、引越しです。色々と状況が動いていきます。

そうそう、常に自分の記憶=煩悩を観察し続けて浄化し続けていると、状況が最適化されて動いていく。先日この本を読んでそのことを再確認しました。

幸せの波動 (僧侶と科学者が探る「愛のエネルギー」の高め方)

、「受動的に生きる」というのは、ヴァイオリン骨体操で習った「受動的に動く」というのと通じる生きかたです。

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