両親との関係を使って捨(しゃ)の練習

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翻訳ではなく、自分の言葉を紡ぐためにキーボードに指を置くとき。なぜかとても楽になる。

ツイッターでもブログでもいい。誰かに自分の内側にある「何か」を表現すること。

12月11日に実家に引っ越した。はや2週間。快適に暮らせるようにと母が弟の使っていた広めの部屋をあてがってくれた。

部屋が広くて快適なのはありがたいが、日中家でパソコンを開いていても、いつ何どき母が話しかけてくるかわからないので落ち着かない。パートナーなら同じ部屋にいても集中して仕事ができるのに、母親だと同じ屋根の下にいるというだけで落ち着かない。

それに自分の使っている部屋にどれほどモノが少なく整理できていても、共有の台所、廊下、浴室、居間、客室、ありとあらゆる場所にモノが溢れていて窒息しそうになる。

そういうわけで、家にいてもなかなか仕事に集中することができない。

 

まぁ自分の蓄積してきた雑念、煩悩をそこに投影しているだけなので、空き時間には瞑想、坐禅に取り組んでいる。それが解決へ向かう最短距離だから。合宿直後のあの魔法のようなキラキラした精神状態を再現することはできないけど、瞑想がなければ実家に住むという決断は下せなかっただろう。

社会性のなさを自認しているが、両親との関係がそこに直結しているのはわかっている。

 

父も母も心屋さんのいうところの「めっちゃ族」で、一緒にいるとその騒々しさが迫ってくるように感じる。単純に苦しい。これも嫌悪の煩悩だろう。まだまだ煩悩が強く、修行が足りない今の状態でも、こうして実家に暮らすことになったからには何らかの使命があるのだろう。

ちなみにここでいう使命とは、単純に「やるべきこと」「浄化できる記憶があるということ」です。

 

自分にとって一緒にいて快適なパートナーとは一旦離れて暮らし、自分にとって苦手意識の強い両親とともに暮らす流れがきた。これは浄化の絶好のチャンスだ。だが、もちろん普段はそうは思えない。

一番大事なコツは、ものすごく強い怒りに支配されそうになっても、かろうじてそれを言動に出さないことだ。

いくら言動に出さなくともムンムンと怒りのオーラが出てしまうが、それでも実際に言葉にしてしまうよりはマシだと気が付いた。まず、そこ。

 

それから、やはり嫌悪と欲望のままに動かないこと。親を喜ばせたいという欲望、すなわち親の不幸に対する嫌悪を常に自覚し続けること。

そして、親がもっとこうあるべきなのに、という欲望と嫌悪の混合物に支配されるときも、できるだけ早くそれを捨て去ること。要は捨(しゃ)の練習期間なのだ。小池龍之介(空朴)師匠も徹底的に捨の練習をしたと言ってたし。

 

19歳で実家を出てからこれまでの人生がルールを習得する段階だったとすれば、ここからは実践編。両親との関係で完璧な平穏さを保つことができる、または平穏でない状態をも受け入れられるようになれば、徐々に社会性を取り戻すことができるかもしれない。

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