リプログラミングこそ仏道修行

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なんども書いているように、今出生の月に経過の冥王星が、出生の金星に経過の海王星がぴったり乗っている。こういう公転周期の長い惑星が出生の個人天体に乗っていても日々のなかではその影響をあまり感じられない。それでも、何か人生で節目となる時期であろうというのは感じている。特に月=私生活の死と再生の時期であることは実生活に現れている。

先月(私の月であり太陽でもあった)パートナーと経済的に決別して、彼女とほとんど別れたような悲壮な心持ちで実家に戻り、フリーランスの開業準備を進めてきた。その結果、クライアントが順調に決まり、かといってまだ契約書を準備している段階なので翻訳作業は発生しておらず、エアポケットのような時間が流れている。

実際に業務が流れ始める前に、自分のスタンスをなんども確認しておきたい。

 

今の自分にとっての最優先事項は、在家修行者としてのあり方を忘れないでいること。

瞑想修行を怠ることなく続ける。そして日々の生活のなかでも、できるかぎり念を忘れないこと。

念を忘れないというのは具体的には、身体の感覚、感情、思考に常に客観的に気づいているということだ。

一番忘れやすいのは、やはりパソコンを使って作業している時。キーボードに触れる指先の感覚、座っている座面の感覚、立てている背骨の感覚。そして出たり入ったりしている呼吸の感覚。

階下にいて家族が話しかけてくる状態、テレビがついている状態のときも念を維持するのがむずかしい。

瞑想している時間をある程度確保していないと、念を維持することはできなくなってしまう。かといって、鬼の首を取るかのような必死の形相で瞑想しても、執着が増すばかりである。

坐禅瞑想にこだわりすぎず、日々の立ち居振る舞いのなかで淡々と、空の境地に戻る=自分の感覚、感情、思考を客観視する練習をするのが近道のように感じている。

 

今読んでいる本 小池龍之介(空朴)師『解脱寸前–究極の悟りへの道』。ある程度の坐禅瞑想を進めている人向けにとっては、痒いところに手の届くような解説。

ここではないどこかへ、というのは旅情を誘う文句だ。いつだってここではないどこかには、何か「もっと」いいものがあるような気がしてしまうが、そこに苦しみの根本がある。

いつも「今ここ」から逃げようとするのが人間の習性で、そのようにデフォルトでプログラミングされている。

ハードウェア(肉体)には寿命があり、いずれは壊れてしまうが、ソフトウェア、プログラムが壊れていると、ハードウェアも壊れやすい。熱を持ったり、メモリが足りなくなってうまく動かなくなったりする。

瞑想は、常に「今ここ」にエネルギーをつぎ込めるよう、このプログラムを書き変える作業だ。修行の進んだ僧侶や修行者はプログラマーとしての先達で、ここをこうするといいよ、とあれこれ教えてくれる。

この書き換えが進むほど、エネルギーは効率よく流れる。ものごとがあるべき位置に戻る。ハワイで言うところのホ・オポノポノになる。

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