実家居候3ヶ月目の所感と波動のこと

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2018年10月のヴィパッサナー10日間コースから5ヶ月。そして12月初旬に実家居候暮らしを始めてはや3ヶ月。父と母との暮らしのなかに自分をなじませるのに、やはり3ヶ月はかかった。

毎食がっつり食べることとか、ずっとテレビがついていることとか、台所にタバコの匂いが立ちこめることとか、「相方と暮らすか、ひとりで暮らすかできたらいいのに」と思うことが何度もあった。

以前は実家には長くても2週間しかいられず、逃げるように自分の家に帰っていた。今はそれをなんとかやり過ごせるようになっているだけでなく、自分なりのペースをつかめるようになっている。違う価値観に対する嫌悪感や自分の「好きな」ライフスタイルへの執着、というのを客観視する、という生き方の「コツ」をヴィパッサナー瞑想を通じて教わったからだ。

それでももちろん怒りと嫌悪が次から次へと湧き出てくる。そのたびに、自分が何に対して嫌悪感を感じているのか見定めるようにするとともに、その怒りにともなって身体に感じられる淀みのような、何かが詰まっているような感覚に意識を集中する。

そうやって怒りを感じるたびにムッと押し黙って自省しているので、相手(父か母かその場の状況)に対して慈悲の心をもって対処する、というところに行き着くまでにはだいぶ時間がかかることになる。ま、仕方ないね。

自分としてはあくまでも居候の身分なので、できる家事はしようと思っているが、つい仕事にかまけて「なぜ私が毎回ご飯を作らなくてはいけないのか」などと筋違いの怒りを感じることがある。こういう時も、以前はそのまま母親に不機嫌な態度を見せていた。今だってそう振る舞ってしまうことが少なくない。それでも少しずつ、「自分は筋違いの怒りを感じている可能性があるな」と考える隙間が生まれてきた。

怒りに任せて掃除、洗濯、料理などをすると、イライラとした空気が家中に蔓延するのでその家の者にとっては大変迷惑である。イライラしているときにこの事実を思い出せるようになりたいが、心の成長は亀の歩みだ。

今朝気づいたのは、私のなかには依然として「両親はパートナーとして支え合い、仲睦まじくあってほしい」という執着があり、そうでない姿を父と母のなかに(勝手に)見ては「もっとこうしてほしい」と押し付ける感情があるということだ。いやはや。

プリミ恥部さんのいう「気を遣わず、愛をつかう」っていうのができるようになるといいな。まずは自分に対して自在に愛を使えるようになると、まわりの人にも使えるようになるのだろう。

小池龍之介(空朴)師は最近の著書で、この無条件の愛とは空(くう)のことであると書いておられる。

空朴師によると、空とはあらゆる事象が映し出されるスクリーンのようなもの。どんな喜怒哀楽も、ただそのスクリーンに映し出されている影にすぎない。そしてスクリーン自体は何があっても揺らがず、ただそこに存在している。心をこの空のスクリーンに合わせていると、何があっても動じることなく愛を持って眺めていられるとのこと。

まぁ確かにそうだなぁ。また本を読み直そう。座右の書と言いながら書棚に並べているだけだった。

本と言えば、空朴師が「手紙からは書き手の心の波動を感じ取ることができる」というようなことも書いておられて、なるほどと思った。確かに、空朴さんの著書を眺めているだけで心が静まってくる。

以前、SITHホ・オポノポノにハマっていたとき、よく「ホ・オポノポノの本は白く輝いて見える」という言を目にしたが、これも同じことだろう。そんなことあるのか、と思っていたけど、確かに書店に行くと、その時の自分の必要とする本がちゃんと目に飛び込んでくる。表面意識が感受できないレベルで、波動的情報を受け取っている。

感情はこの「波動」なるものの、もっと粗いレベルのものだということも実感としてわかってきた。書きものや読書をするときにかぎらず、父母との生活のなかで、自分の発している波動、相手から受け取っている波動、それに対してまた自分の発している波動を意識できるようにありたい。

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