投影の引き戻し中です。しばらくお待ちください。。

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前に進んできたつもりなんだけど、実はずっと同じ場所をぐるぐる回っていたような、でも少しずつ上がっているような。らせん階段を登っているぼびちゃんです。昨日、元子宮委員長はるさんの本を読んで、以前に買っていた電子書籍も読み直してみたら、自分がいつ間にかまた、「私がやらなきゃ、誰にも頼れない」いわゆる頑張る教に舞い戻っていたことに気がつきました。

頑張る教って、人に迷惑をかけてはいけない、なんでも自分でやらなきゃ、自立しなきゃ、と自分の不得意なこと、できないことまで抱え込んで周りの人たちに不機嫌を撒き散らし、回り回って一番迷惑やん、という人のこと。

詳しいことは心屋さんのブログポッドキャストをどうぞ。

で、その大元には「母親をよろこばせたい」という子どもの時のクセがあるという仕組みです。

頑張る教から足を洗い、「なんか知らんけど(うまくいく)教」に宗旨替えした図だったのに、また夢遊病のように元の教会に熱心に通っていました。。

またかぁ〜〜〜と言う感じです。

この「夢遊病のように」というのは、まさしく月の性質。眠りこむと、7歳までに自動化された月の性質で行動してしまう。そして、主にこの月の性質で生活している人のことを機械人間と言います。「自分だけの力で」「一生懸命に努力して」「誰も助けてくれない」と嘆いている人は、たいてい機械人間です。(オレのことね)

心理学では当たり前すぎるくらいに当たり前の基本事項ですが、現実社会ではそうでもないのが不思議。それだけ月の眠り込む力に埋没してしまいやすい、と言うことですね。瞑想もこの「眠り」に気づいて覚醒するための修行法だし。

占星術の松村先生は、月に振り回されないように月の性質を客観視して対象化するといいとつねづねおっしゃっています。猫や犬を飼うと、動物が自然と月を担当してくれるからオススメだそうです。猫飼いたい。自分の周りをぐるぐると回る月。

翻訳の仕事に関しても、やっぱりもう辞めよう、卒業しようと思います。去年の12月に「勝手に」パートナーにはもう頼れないんだ、と思い込み、自分一人で生きていくために、それこそ「頑張って」きました。で、頑張って営業したりして、「ママ、見て見て!こんなに頑張ったよ!」ってなってた。彼女に母親を投影していました。

彼女も私に母親を投影していましたが、彼女は昨年末にそこから脱皮しようとしていたのだ、ということも分かってきました。お互いに自分の母親に求めていて得られなかったものを与え合っていたんだな、ということが分かってきた。それは自我を発達させるうえで大事な過程でしたが、卒業する時がきたようです。

自分ではやりたくないけど「思考が」やれというから離人症のように進めてきた翻訳の仕事、こんなん続けていくの無理やわって薄々分かってきたのがゴールデンウィーク前くらい。

もう、ただただ頑張れない。もう若い頃のように「死にたく」なるまでごり押しすることもできないし、どんどん自分が不機嫌になって家族に当たっているのも分かってきたし、全然これで稼ごうという気が起きない。

というより、翻訳の仕事で稼げてしまうと辞められないのが分かっているから、無意識のうちに稼げないように自分でブレーキかけてることに気がつきました。「うわ〜〜稼ごうとしてるつもりで、実は稼ぎたくないんだ」というのが分かってきた。自分で自分に呆れ顔です。

やるべきではないことでお金を稼ぐということができてしまうと、恐怖のあまりそこから出られなくなりかねないことをよく分かっている私の潜在意識が、ストップをかけているというのだと気がつきました。私のこの世でのテーマはパートナーシップ(7室太陽)なので、ひとりで頑張って成果を出す、というのは全然自然な流れではないのです。

で、このパートナーシップというのは「私と、誰かほかの人との協働」だと思い込んでいましたが、はるちゃんの本を読んで、「自分のなかの男性性と女性性とのパートナーシップ」だということに気がつきました。

あ〜〜〜!!!何回繰り返すねん、っていうくらい忘れてしまっていましたが、パートナー=自分の鏡だし、世界も全部自分の内面を映し出しているだけの鏡でした。ちなみに「ひとりで頑張って」のひとりというのは、男性性が自分のパートナーたる女性性の声を無視して、世間(おかん)に認められようするマザコン精神のことだということも分かってきました。

実家に暮らし始めて感じていた「父はもっと母を大事にすべき」という思いは「自分の中の男性性はもっと女性性の声を聞いて行動すべき」ってことだったし、「母はもっと自分のことを大事にしたらいいのに」というのは「自分の中の女性性はもっと男性性を頼りにして自分のことを大事にしてほしい」ということでした。全部、自分が自分に言いたいことだった。

ヴィパッサナー瞑想も、これを続けて自分の状態を整えて、家族も救ってあげて、と思っていたけど、違った。家族を救おうと思っている時点で大前提が間違えすぎている。イタイ…

瞑想合宿に行った直後は「真面目に働いて、社会に調和して、生きていけばいい」と思ったのです。。ずっとしたくなかった男子との結婚なるものも、両親が喜び、調和がもたらされるならしてもいいかもしれない、とも思った。とにかく両親を幸せにしたかった。でもそれって結局、子どもの頃の憧れを思い出していただけなのかもしれない。両親に幸せになってほしい、というのは私のインナーチャイルドの声であり、本当は私の中の男性性と女性性に仲良くなってもらいたい、ということなのだった。鏡に映った姿は、自分を変えることでしか変えられない。

10日間も誰とも話さずに瞑想ばかりしていて出てきた考えなら、さぞ純粋で間違っているわけないと思っていたんだよね。あの時はものすごく純粋な気持ちだった… ただ、「実家に帰ろう」という思いが出てきたのは、そこに私がやり残したことがあったからなので、正しい直感ではありました。

占星術も、もともとは自分を知りたくて学んだんだけど、自分を知りたいなら新たに身につけた知識ではなく、もっと自分の身体の声を直接聞けるようになる方が正確だというのが分かってきました。もちろん道具として占星術はとても優秀だけど、道具は使うものであって、指針にするものではない。

瞑想も、身体とつながるのにはとても効率がいい手段なのは確か。ただ、私はたぶん、慈悲の瞑想でいうところの「調和」というものを、「自分の感情や願望、可能性を直視する」ことが怖くて、それを避けるために低い次元での調和=迎合に落としめていたのだと思う。真の調和は、まず自分の中の不協和音の原因を探すことから始まるのだ。

とにかく、だいぶずれていた。家族に対する怒りは、自分の無意識からの自我に対する怒りだった。ここからまた、やり直します。

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