絶望を真正面から受け止めると人生が流れ出す

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ハローぼびおです。

今日は絶望のどん底から抜け出して開運体質になる方法について書いてみます。

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人間には人生に何度か絶望するときがあるかと思います。占星術的に言えば、冥王星が個人惑星や軸に差し掛かるときです。何もかもが崩れ去り、真っ暗な場所に取り残されたような感覚に襲われるとき。

絶望のどん底にいるときって、もうそこから二度と抜け出せない、と信じ込んでしまうものです。

ありとあらゆることを深刻に捉えて、未来を思えば真っ暗、過去を思えば後悔と執着ばかり。かといって今ここに意識を集中しようとしても、感情に押し流されそうになり、ワラをもつかむ思いで思いついたことを行動に起こしては後悔する。

ぼびおはここ最近、大半の時間をそんな暗闇のなかで過ごしていました。きっかけは10年以上付き合っていた恋人がほかの人の元へ去っていったことです。

どんな本にも書いてあるように、どんな人も言うように、その絶望は癒しに向かうプロセスでしかなく、必ず過ぎ去ります。そして、苦しむ過程で得た気づきとともに、絶望に至る体験が全て恩恵だったと感じられるときが必ずきます。ただ、それはあることをちゃんとやった場合です。

 

それは感情を感じ切ること。

 

以上、終わり。

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…と言っても私も「え?そんなんでいいの?」って思っていたので、詳しい経緯を書いてみようと思います。感じ切るって死ぬほど苦しいけど、とても即効性があるというのがわかりましたので、ぜひおすすめしたい!と思って書くことにしました。

苦しいときって、そこから逃れるために気持ちをそらしたり、現実を変えようと躍起になったり、仕事やお酒、携帯ゲーム、動画などの気晴らしに気を散らそうとしたり、ありとあらゆる方法を試してしまいます。

ちょうど殺虫剤をかけられた虫のように。

かくいうぼびおも、恋人の考えを変えようと連絡を取ったり、ジオマンシーやタロット占いしまくったり、恋人とよりを戻すために無理やり引き寄せの法則を適用しようとしたり、相当ジタバタしました。

夜中に目が醒めることなどなかった私が必ず真夜中に目を覚ますようになり、そのときには必ずネガティブな感情に圧倒され、支配されました。この夜明け前が一番しんどかったです。

泣くに泣けず、嫉妬と受け入れられない現実に対する苦しみで死にそうになりながら、何度も恋人にメッセージを書いては消して、とりあえずメモ帳に保存して(笑)、感情に意識を集中させて、苦しみのなかでまた眠りました。

そしてとうとう、あふれ出る感情をただただ感じきることでしか、今のこの苦しい状態を抜け出す方法はないのだ、と観念しました。

少しでも早くこの苦境を抜け出したかったので、それからは泣けそうな時は我慢せずに泣くようにしました。ほぼ毎日、号泣と嗚咽。よくこんだけ泣けるなぁと言うくらい泣きまくりました。「いつまで続くんだろう。終わりが見えない…」と思っていました。

毎朝起きては絶望。起きては絶望の繰り返し。

かわいい甥っ子の顔を見てるだけで泣けるし、明るい昼の道を歩いているときも泣けるし、ふとしたときに涙がこみ上げてきて、スーパーであろうが自動車の運転中であろうが、ところ構わずこみ上げてくるので、そのまま涙を流して生活していました。

そうやって悲しみを感じながら過ごしていると、もちろん恋人とのことで悲しいのだけど、それとともに過去のありとあらゆる悲しみ、感じないようにしていた悲しみが一緒に湧いて出てくるようになりました。

そして、これがとても大事なんだ、というのがだんだん分かってきたのです。

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古傷を癒せば、同じ悲しみを繰り返さずに済む

悲しみとともに小さい頃に感じた同じような悲しみの記憶が蘇ってきました。

 

子どもの時に毎日のように両親が言い争い、母が泣いていたときの悲しみ。

行きたいわけでもなかった塾への送迎を父と母が押し付けあっていて、自分は存在しなければよかったと思ったときの途方に暮れる悲しみ。

学級新聞の投稿に母が私のことを「金魚のフンみたいだ」と書いていたのを知ったときの悲しみ。

塾に行くための電車で何度も痴漢に遭うのを母に言っても黙殺された絶望感。

深夜になっても塾の宿題が終わるまで寝かせてもらえなかったこと。

一生懸命描き上げたマリア様の絵を「あんたが描いたわけない。なんでそんな嘘つくの」と認めてもらえなかったこと。

私が選んだ服や小物はことごとく「地味でおばさんくさい」とけなされたこと。

 

もう受け入れたと思っていた子どもの時の記憶は、ただ単に頭で整理できていただけでした。人生で最も信頼して愛していた人が突如自分の人生からいなくなってしまった悲しみの大きさが、凍結されていた悲しみを呼び起こしたのです。

去っていった恋人を思うたびに胸がナイフでズタズタになったかのような、胸が血にまみれている生々しい感覚がずっとありました。

死別ではなく、恋人やパートナーが相手の意思で突然人生から立ち去るショック体験を心理学では「見捨てられ体験」と呼びます。このテーマについて書いた本には、実際に胸をナイフで刺したのと同じ生理学的現象が起こる、とありました。

苦しむなかで出会ったこの本は、苦境を抜け出すうえでとても助けになってくれました。大事な人が立ち去り、絶望に置かれた人がどのように感じて、どのように立ち直っていくことができるのか、回復の過程で心理学的、医学的にどのような状態を進んでいくのかを丁寧に描写してくれているの。

セラピストの著者は多数のクライアントの事例を示すとともに、ご自身にも二度の深刻な見捨てられ体験があるため、冷静な描写に心からの理解が伴っていて、読んでいるだけでも「やっとわかってくれる人に出会えた」と感動し、とても癒されました。

見捨てられ、というといかにも被害者意識ですが、ショックから立ち直れない人は、一旦被害者としての自分を受け入れて認めることによって、その先に進んでいくことができるのです。そこからようやく加害者としての自分を意識して、さらにその全体を操っている自己意識にたどり着くことができます。まずは被害者意識をしっかり味わうことが必要なのです。

さて、さきほど書いたような幼少期の毒親体験は、この見捨てられ体験の元型になる根深い傷を残すものです。幼少期には傷を隠して防衛することでしか生き延びることができないため、成人後の見捨てられ体験(だけでなくありとあらゆる体験)は、この幼少期の傷を現在の傷とともに癒して、本来の自分のパワーを取り戻すチャンスでもあります。

心理学的に言えば、もともと心の奥底に眠っていた傷が表に出て癒されるために、今回のショック体験を引き寄せた、ということ。新しい傷とともにこの古傷を癒さないかぎり、また同じように悲しむ体験を引き寄せてしまうということになります。

実際にこの本では、恋人に何度も見捨てられる人の事例が紹介されています。心の奥底にある恐怖や悲しみを感じ切ることなく、次の人、また次の人と乗り換えていっても、根本的解決にはならないのです。

私のビジネスメンターはいつも「ピンチはチャンスでしかない」と言っています。

渦中にいる時はとてもそうは思えなかったけど、やはりこれは真実です。

最初は被害者意識のままでいいので、悲しみを感じ切ること。胸や喉の痛みに、嫉妬に、恐怖に、苦しみに集中して、泣けるだけ泣く。

これを何度も繰り返していくうちに、不思議と自分にとって救いになる言葉や本や人に出会い、少しずつ、でも確実に現実が変わっていきます。

そして最後には、「どんな感情がやってきても、感じ切ればいい」と肚で納得できるようになるので、もう何が起きても恐くなくなるの。これは無敵です。

大人になってから起きる辛いこと、悲しいことは全部、子供の時の古傷をいやす為に起きている、と言っても過言ではないと思います。大人になってから起きる辛い体験を真正面から受け止めると、インナーチャイルドが癒されるからです。すると、引き寄せ、開運、人生創造の流れがグッとスムーズになります。

まさに「ピンチはチャンス」です。

ぼびおは圧倒的スケールの感情を感じきったことによって、自分の本音、肚の部分との繋がりが強くなったのを感じています。特に仙骨のあたりに強いエネルギーを感じます。引き寄せ、開運、人生創造はこの肚の部分を主体にして展開しなければ、空振りします。

つまり、絶望的状況下で感情を感じ切ることは、人生を自分で創造していけるようになる開運行動そのもの

絶望の渦中にいる方には、絶対に諦めないで、ちゃんと味わいきればわりとすぐそこから抜け出せるよ、素晴らしい未来が開けるすぐ手前にいるんだよ、と声を大にして伝えたいです。

 

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