こんにちは、ぼびおです。
前回の記事を書いたときから引き続き、毎日自分の気分を確認しながら過ごしています。
『サラとソロモン』シリーズを読み終えてから、SITHホ・オポノポノ、仏道、瞑想、心屋、アニータ・ムアジャーニさん、お祈り、おまじない、掃除、開運…今までなるほどと感じて取り入れたり疑問に感じたりしていた考え方がつながり始めました。
「自分が今現在、どう思っているか、感じているかが現実世界にそのまま映し出される。今の気分そのままに現実が創られていく」
本当にただこれだけでした。
どうしてこの世界はこんなにも辛く苦しいのか。どうすればこの苦しさや無力さから抜け出すことができるのか。まさに本に出てくるサラと同じように、私にとってこの世はわからないことだらけでしたが、この3部作を読み終えてやっと答えが見えてきました。
そもそも幸せに生きるため、魂の本当の望みを生きるために必要な気づきを得るには、まずその答えを知ろうとする必要があります。求めよ、さらば与えられん。「どうしてこんなに苦しいのだろう?」と問いを発していれば、必ず答えが与えられます。
しかし、答えを求めることなく、ただ苦しさを自力でなんとかしようと行動ばかりしていたときは全然うまくいきませんでした。問いを発することにより、その時々の自分の気づきのレベルに合わせて少しずつ順番に答えが与えられ、新たな気づきが与えられてきました。
人生の出来事に出会うたびに問いを発して、答えを得る。「望ましくない経験」があるたびに自分の望みが明確になり、自分という存在への理解が深まります。人生とはそんな探求の旅である、と感じています。
10年以上付き合い、一生一緒にいると思っていた大好きな人にふられたからこそ、アニータさんの言葉を求めたし、「私たちはみな繋がっている。自分を愛するのがこの世で天国を生きる秘訣だ」というアニータさんの言葉から、目に見えないエネルギーの世界を以前よりも意識するようになったからこそ、ずっと敬遠してきた「引き寄せの法則」の本を読む気になれた、、、
この流れも「自分が」選んだという自覚はなく、まるで物語が展開していくように自然に起きてきた出来事でした。自由意思とは、お釈迦様の手のひらの上で跳ね回っている孫悟空のようなものだと感じています。

『サラとソロモン』シリーズから受け取ったメッセージは大まかには以下のようなものです。
- 世界は心の写し鏡である。
- 「今」どんな気分でいるか(どんな波長を発信しているか)が宇宙に影響を及ぼし、現実に反映される。
- どんな人も全員、魂の波動が高く、愛そのものである。その宝石のような魂に恐れという汚れがついているだけ。それを拭えばまたすぐに良い気分になれる。
- 良い気分は愛そのものである魂と同調しているので、良い気分を保っているだけで魂の望みが自然に実現していく。
- 宇宙からの喜びの流れに心をひらいている人(良い気分でいるひと)は、流れに繋がっていない百万人よりも宇宙に対して強い影響力を持っている。
- 全ての物事には「望むこと」と「望まない」ことが内在していて、必ずどちらに意識を向けるかを選ぶことができる。
- 自分自身が味わい愛でる気持ちを感じた相手(人、状況)も、その本来の愛のあり方に戻っていく。今、自分が良い気分でいるだけで、まわりにも良い影響を与えることができる。
- 物質次元ではどんなに「望ましくないこと」のように見える出来事も、全ては喜びの流れに繋がっていて、万事良好である。そのことを信じられるかどうかが鍵である。
- 望ましくないことは、本当に望むことを一層明確にするためにのみ利用する。
- 状況、人、現実をコントロールして変えようとするのは無駄である。今、自分の心を整えていい気分にすることによってしか現実を変えることはできない。現状を受け入れ、思い通りにしようとしなければ、思い通りになる。
一番大きなポイントは、良い気分でなどいられそうにない、という時にも、そこから味わい、愛でる気持ちを取り戻せるかどうか。初動ではネガティブに感じても、そこから持ち直す、見方を変えることができればそれで大丈夫。その第一歩として有効なのが、「今、自分はいい気分ではないな」とその状態を受け入れて観察すること。じーっと観察していると、次第に気分の悪さが薄れていきます。これを繰り返すのです。痛みと同じように、苦しみは真正面から観察すると、愛のエネルギーに変換されます。
良い気分でいるのと同じくらい大事なのが、自分の本心からの望みを素直に認めることができるかどうかです。素直な望みを抑圧していきてきた人には、望みを認めることすら怖いのです。「本当にこれでいいんだろうか?また誰かに怒られるんじゃないだろうか?」と感じるなら、それは本心からの望みでしょう。
苦しい局面にあっても感情をうまく切り替えられる人は、この世で天国を生きることができるし、良い気分で過ごす方法を追求し続けていくと本心からの望みがハッキリしてきて、それが自然な流れで叶っていきます。
ぼびおは目下、どんな時にもいい気分を保つ、というのを練習していますが、これにはかなり強い意志と、望ましくない状況を違う方向から捉え直す知性、占星術のエレメントでいうと火と風のエネルギーが必要です。感情という水のエレメントを穏やかに清らかに保つために、火と風の力を使う。エネルギーはバランスを取ろうとするため、水と風と火が揃うと、必ずそれに見合う土(物質、この世界の現象)が引き寄せられてくるのですね。
怒りや焦り、不安の渦中にいて宇宙の愛の流れを感じられないときにさえ、愛を感じられるように気持ちを切り替える能力、どんな時にも万事良好であると信じられる能力、どんな時も気分良くいられる、愛の波動を保っていられる能力を培う、というのは究極の魔術修行だと思います。
ただし「いい気分を保たないといけない」と焦りや怒り、不安を否定したり押しのけたりするのは、かえってそこにエネルギーを注ぎ込んでしまいます。押しのけるのではなく、受け入れる。無理にいい気分になろうとしない。この辺の兼ね合いは、なんとも微妙です。なんにせよ自分の気持ちを大事に扱うこと。無理をせずに、少しずつで良いから、良い気分に近づけていく。自分を大切にする。特に焦らないのはとても大切です。

こうして引き寄せの法則の奥深さに気づくとともに、占星術は魔術的道具だ、ということがようやくわかってきました。気分があまり良くないとき、不安や悩みに支配されているときに使うと、とんでもない誤謬を引き起こすからです。占星術の知識があるがために、それに振り回されてしまう、という事態になるのです。私もまさにそうでした。
結局のところ、外界に翻弄されずに内面から意識的に現実を創造する術こそ魔術であり、現実の中に愛を見出すことによっていい気分を保ちつつ、心の中に魂の望む現実を作り出し、それを願いとして宇宙に放って現実化するのを信じて待つ、という「真っ当な魔術的姿勢」が占星術にも求められるのではないかと考えています。
引き寄せの法則の真髄は、この世界は自分が創造している、ということに気づくかどうかです。起きたこと、五感に入ってくる現実という情報はみな自分の潜在意識と顕在意識が創造したことであり、どれほど「望ましくない」ように見える現実であっても、ゆくゆくは喜びの流れにつながるものとして自分が創り出したものである、と信じることができるかどうか。
意識的に人生を創っていくと、その人のホロスコープの特徴が忠実に立ち現れてきます。同じホロスコープチャートであってもその表現は無限にあり、自分の星をどの気分、波動、次元で表現するか、どんな人と出会い、どんな出来事をどのように体験するかは間接的に選択することができます。ホロスコープというジュエリーの型は決まっていても、宝石を原石のままにしておくことも磨くこともできる。宝石の大きさを変えることもできる。そして自分の宝石を磨いておくと、周囲の人の宝石もそれに見合うように磨かれていく…そういうイメージです。

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