奇蹟を求めて 8章「人格と本質」

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このところウスペンスキーの『奇蹟を求めて』を読み進めていたんだけど、ついつい先の方をつまみ食いして読んでしまう。昨日は8章「<本質>と<人格>」から最終章の「離脱」を途中まで読んだので、以下に理解したことを占星術的観点からまとめてみます。

  •  意識状態には4つの段階があり、眠りのなかにいる人間はみな、下位ふたつの意識状態、すなわち「寝ている時」と「起きている時」の意識状態にのみいるということ。起きている時も実は寝ている。そこからもうひとつ上の「自己意識(H24)」とそのさらに上の「客観意識(H6)」を獲得するには、自己想起することによって自己同一化している対象から離れる必要がある。

先週末、高野山参詣道を歩いているときに、「この肉体は私ではない」「この感情は私ではない」「この思考は私ではない」と自己想起していると、肉体という馬車、感情という馬、思考という御者がそれぞれ馬車、馬、御者であって、自分自身ではない、ということをまざまざと実感しました。

そして、それまでは馬車や馬、御者を自分自身だと思い込んでいたことに気がついた。もの心ついてからずっと眠りつづけていたのです。自動車に乗っているからといって、自分が自動車になるわけではないのに、そう思い込んでいました。

  •  自己想起するためにはまず、自己同一化している対象から離れる。

 

たとえば、「私」は今、グルジェフの言葉に自己同一化しています。そして、ブログを書いている人格にも。しかし、それは機械であって、私の本質ではありません。

現代日本で教育を受けた私の人格がこうして文章を書き、思考し、グルジエフの言葉に興味を抱く。それに対して、私の本質はただ、魂がもと来た道を見つけ出すことができるかどうかにのみ関心があります。人格の私は本質の私の声を聞き届けたいと思っているのだけど、本質の私から見れば、いらないことばかりして、どこまでも遠回りしているようにしか見えないでしょう。

  •  眠りながら生きている人の作品や仕事は、ほかの人も眠らせてしまう。
  •  何よりもまず、「私」という人格に自己同一化しないよう常に気をつけること。それから、(グルジェフが内的考慮と呼ぶ)「自分を不快にする対象への自己同一化」をやめること。あの人がこうしてくれない、自分の作品はもっと評価されるべきだ、今日の天候のせいで頭が痛いなど、外部への無意識の要求に気づき、それを止める。

 

これは占星術でいえば、ひとつの惑星に自己同一化するのをやめて、全惑星意識を取り戻すということです。悩みや不安を感じるとすれば、それは全惑星意識から脱落しているということにほかならなりません。

眠り込む月をはがし取り、楽しみを感じる金星意識、知性を発揮する水星意識、自我を追求する太陽意識、自我を強化、防衛する火星意識、自我を集団単位に広げる木星意識、創造性を枠に削ぎ落とす土星意識、さらに世代に共通するトランスサタニアンを残らず同時に均等に対象化する。肉体、感情、思考は今、どの惑星意識を表現しているのか観察します。

  • そして、他人を内的に考慮するのもやめること。自分が誰かを十分に考慮していないゆえに、相手は自分に腹を立てていると考えるのをやめる。他人を内的に考慮するというのは弱さだ。弱い人間は、周りに利用され、その奴隷となって、周りの人間に依存する結果を生む。相手に「不誠実」になることへの恐れは、自己欺瞞であり、自己統御能力の欠如であり、自分に嘘をついている状態である。自己想起できているときは、相手も自分も機械であるということが見て取れる。そして、ただ自分の持ち場につき、その偏見、好みを理解し、相手の要求を受け入れる。

 

これは心屋さんの言うところの「妖怪かわいそう」を作らないということですね。一見したところ、他人に対して誠実、親切にふるまっているように見えても、それはただ自分がそうしないことによって嫌われたり、高尚な自己イメージが傷ついたりするのを回避したいという自己欺瞞でしかない。

そうではなく、つまり自分の中の勝手な思い込みによって相手に「尽くす」のではなく、自分も相手も機械であること、その性質を理解することを踏まえて、相手の要求に順応する。自分の要求、期待を持って相手に臨まないこと。

  • 人間機械から解放されるためには、まず自分が正しいと思いこめるように作り上げてきた「人工緩衝器(バッファー)」を手放していく。このバッファーは、人を眠らせるためにある衝撃吸収材である。良心とは道徳に関係のない恒久的現象である。それは自分の中にある無数の相矛盾する考えや感情を「同時に」認識することだ。これは非常に耐え難いことなので、通常はバッファーがはたらいて、良心を実現することができないようにしている。人格崩壊を防ぐバッファーがあるかぎり、良心を持つことはできない。良心は明晰な意識に続くものである。

道徳は自己暗示に過ぎない。必要なのは、良心だ。P.255

社会通念や教育を通じて構築してきたバッファーを壊して、良心を実現するというのは、自分のなかの矛盾を受け入れることから始まります。これもやはり、各惑星の間の矛盾を全惑星を統合した意識から眺めるということです。

暴力に対して不信感を感じる自分と、心の闇のなかに暴力を抑圧している自分。正義感を燃やす自分と、どうしようもないほど劣悪な自分。抑圧してきたシャドー(影、土星)を取り込む。嫌いな人、批判したい人はすでに自分の中にいるのです。

人間にとって、善悪についてありうべき唯一の恒久的観念は、進化の観念と結びついている。意識的努力、自己の存在の変化、内的統一の創出、そして恒久的な<私>の形成を通じての人間の進化という観念と結びついているのだ。

もし自分が眠っていることを悟り、目覚めたいと望むなら、そのとき彼の覚醒を助けるものは全て善であり、妨害するもの、眠りを長引かせるものは全て悪であることになる。

善悪はほんの少数の人々、(目覚めたいという恒久的)目標を持ち、その目標を追求するものにとってのみ存在する。P.257

覚醒は、自分はどこにも向かっておらず、またどこに向かえば良いのかわからないということを認識する時にこそ初めて始まるのだ。p.258

ここを読んでやっと、これまではっきりとせずにモヤモヤしていた目標が明確になりました。

それは年収アップでも、経済的自立でも、仕事や創作を通じた自己実現でも、社会貢献でもなかった。それでは機械になって眠り込んだまま生きるということでしかないからです。

眠り込んだまま生きることへの強い誘惑は今でも感じますが、目指すべきは本当の意味での人間に戻ることだけ。目標がないままに行動することはできないのです。そして、その目標を明確にするためにこれまで行動してきたわけですが、目標が定まった今、あらゆることを善悪に分け、優先順位をつけ始めることができます。

本質とは、人間の内なる真実であり、人格は虚偽だ。P.263

本質の発達は自己修練にかかっている。

人格が受動的になり、本質が能動的にならなくてはならない。そして、これは緩衝器が取り除かれるか弱められるかしたときにだけ起こりうる。なぜなら、緩衝器は人格が本質を服従させるための主要な武器だからだ。P.265

内的生長、自己修練のためには、本質のある程度の強さとともに人格のある程度の発達が必要なのだ。P.266

人格とは表面意識、本質とは潜在意識、と呼びかえることができます。または松村先生の言うところの、タロットカード19番太陽のカードに描かれているふたりの子どもです。ビジョンを提示する尻尾の生えた9の子どもと、それを現実世界に橋渡しをする10の子ども。

9の子供を発達させるには、10の子ども、すなわち表面意識、合意的現実に合わせる意識が受動的になり、9のこどもが指揮をとる体制に逆転させる必要があります。この9の子どもの考えを10の子供が受け取る手段として、タロットカードや占いがある。毎日タロットを引き、9の子供の意図を受け取ろうとするのも自己修練になるのです。

今日のカモワン版タロットの大アルカナ一枚引きでは、14節制が出ました。生命の木では、14番の節制のパスは太陽ティファレトと月のイエソドとを結びます。これは胸の意図を現実世界に引き降ろすこと。それも慎重に。目的に合う身体、エーテル体を作ることです。

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