翻訳のお仕事は地球体験のための乗り物?

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主に翻訳の仕事をしながら日々過ごしている。

AIが台頭して翻訳の仕事はなくなる、という話もあれば、きちんとした文書の翻訳のお仕事は無くならない、という話もある。

こないだふと思ったのは、「この先何がどうなろうが、自分が乗り気になって意欲的に取り組んでいるかぎり、のちのち損したとは感じにくいし、あとで生かしやすい経験や資質を得られるだろう」ということだ。

やりたくてやっていることは、それをやっているときすでに楽しいし、それによってなんらかの成果や報酬が得られたら、超ラッキー。逆に何か望ましくない結果になったとしても、よほどのことでないかぎり「そうはいっても、あのとき自分はそうしたかったし、楽しかったから、まぁいいか」と諦めがつく。

反対に、気が進まないのに「やらないといけないから」と頭で考えてイヤイヤやると、そのやっている時がまず苦しい。そしてそのやりたくないことによって報酬や成果がもらえたら、「そりゃ当然」と思う。万一、報酬がもらえなかったりあとになってやったことが不要だとわかったりしたら、「我慢してやったのに!」と強い怒りが湧いてくる。もっと言えば、自分が嫌々やってきたことをやらない人たちに対して、優位に立っていないと気が済まなくなる。

で、私にとって翻訳の仕事は「そこまで嫌じゃないけど、やらなくてもいいならやらないかな。いや、たまにやりたいけど、まぁそんなにガツガツやらなくてもいいか」みたいな感じ。

下調べをしたり、知らない分野のことを勉強したり、表現を考えたりするのは楽しいんだけど。営業したり、帳簿をつけたり、翻訳会社の人とやりとりしたり、トライアルを受けたりしてドキドキワクワクするのも、地球にいる間の暇つぶしという感じでまぁ楽しい。キャンディクラッシュみたいなもんだ。

ただ、たまに仕事がたくさんあると、「本当にこんなことやってていいのか。他にやることがあるんじゃないか」と思ってしまう。なぜならキャンディクラッシュだから。いや、もちろん真剣にやっているんだけど、あくまで地球滞在期間の遊び、という感じ。

その辺を掘り下げたくて、この記事を書いている。

じゃあどんなことだったら、報酬がなくても、無駄だと言われてもやりたいかというと、まず瞑想。なんと言ってもこの肉体が寿命を迎えるまでに宇宙のお家に還る道を見つけておきたいし、地球で生きる以上、瞑想しないでいるとしんどいままだし。

それからこうやって考えていることをブログに書くこと。ブログのお手入れ(壊れたリンクを貼り直すとか)をすること。

 

あ〜でも翻訳業のあれやこれやの事務もわりと好きだな。なんかいかにも「人間やってます」っていう感じがするのも好ましい。

 

じゃあなぜ翻訳の仕事をしていてモヤモヤするのか考えてみよう。

う〜ん、翻訳の仕事は基本的には「営利行為」なはず、という思い込みがあるから、ではなかろうか。本来は利益があろうがなかろうがやってみたい、というくらいの気軽な気持ちなのに、「利益を追求しなきゃ」と思うからしんどいんだ。いや、利益が出るようにやるのも楽しいんだけどさ。矛盾してるなぁ。

そう、がむしゃらに利益を追求しなきゃ!と自分を追い込む煩悩=「俺はできるやつなはず」という自我への執着 があるから苦しいんだ。

この煩悩を手放したら、苦しくないかも。おお。

お金ってそんな必死になって稼がないといけないのか、と思ってしまう。

こういうと、自分のなかの怖い人が「何甘ったれたこといっとんじゃ〜!」って言ってくるけど、なんと言ってもパートナーと親に支えてもらっているあまちゃんだからね。

一生懸命お金を稼ごうとしている人には申し訳ない(?)とは思うけど、やっぱり、この世に対してぼびおができることって、物質レベルではほとんどない気がしてしまう。

そういえば、こないだQHHT体験について書いたnoteにコメントをもらったついでに当時の記事を読み返してみた。

前世とか、スターチャイルドとか、いまだにはっきりとはわからない。前世があるのかもしれないし、今回初めて地球に生まれたのかもしれない。瞑想も、輪廻転生から抜けだすためにやっているというより、やっていないとどうにもならないからやっている。

今のところ、ぼびおはそんな感じで生きています。まとめると、翻訳は地球人体験をするための乗り物である。

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