欠乏感からではなく、インスピレーションから学ぶ 水星を癒す

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こんにちは、ぼびおです。カナダ旅行での気づきを含めて書きたいことがたくさんあります。

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この記事では、ぼびおの次なるテーマとして浮上してきている「勉強して、自分を向上させ続けなければいけないという強迫観念」について考えてみます。これはそのまま、私の占星術との付き合い方につながるテーマだと感じています。

ぼびおは翻訳、占星術と一生勉強し続けるテーマに惹かれて、それを仕事にしてきました。何かを勉強して、習得して、それでいつか押しも押されぬプロになるのが理想、、という思考回路に気付いたのは30代になってから。大学生の頃から、「プロフェッショナル」という言葉に大きな憧れを感じてきました。

その根底には、完璧主義があり、今の自分には何かが足りない、という思いがあることに薄々気づき始め、2015年に心屋さんに出会い、翻訳の仕事も勉強もやめたときに「もうこれ以上何かを勉強するのはやめよう」と決心しました。

なので2017年に占星術を学び始めたとき、また勉強しようとしていることに不安を感じ、そのことをブログにも書いてました。(占星術を学び始めました)

今思えば、学ぶこと自体は決して悪くないのですが、その根底に「今の自分では不十分、何かが足りない」という不足感があり、それを勉強することによって埋めようとするのをやめたかったのです。当時はまだそこまでわかっていませんでした。

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勉強といえば水星ですが、来年にかけて私の水星に経過の冥王星が重なろうとしており、7〜15歳頃の水星期、学童期の心の傷が再び浮かび上がりつつあるのを感じています。常に勉強していなければ怒られるという恐怖感、新しく何かを身に付けなければならない、という強迫観念を手放すことができる絶好のチャンスなのでしょう。

母が熱心な教育ママだったため、幼稚園の頃から毎日バレエ、ピアノ、公文式、水泳、と何かしらの習い事があり、四年生の頃からは中学受験のために浜学園という進学塾に電車に乗って通っていました。放課後は一日たりとも空いていなかったため、友達と遊んだ記憶は数回ほどです。とても楽しかったのを覚えています。

ぼびおの水星はやぎ座6室にあり、技能を身につけることによって統合的知性を追求する(3室てんびん座30度の)冥王星と90度関係になっています。学童期にはまさにやぎ座的ヒエラルキー社会で上位を目指し刻苦勉励し、自分を作り変えていく過酷な体験、というかたちで表現されました。

母が教育ママであったのは、母自身の星と私の星がうまく表現できるのがそのかたちだったからだと今は思っています。実際、弟はそこまで苛烈な教育戦争に巻き込まれることはありませんでした。

しかしいくらそういう星の元に生まれたとはいえ、常在戦場をスローガンに掲げる中学受験は、感受性が強く打たれ弱い私の性質には全く向いていませんでした。

塾に行くため、放課後に行われる小学校の行事にはほとんど参加せず、そもそも超内気だったので、同級生とは次第に溝ができていました。私だけ学習内容が先に進みすぎていて同級生と噛み合わないため、小学校の先生にも疎まれ、孤立していました。漫画やテレビを見たり、流行歌手の歌を聴いたりすることは母に禁止されていたので、仲のいいクラスメイトからこっそり借りると、母にそれを捨てられて、途方にくれたこともありました。(今思えば随分ひどいですが、母のホロスコープを見ると納得できます)

夜中まで塾の宿題をしなければならず、日中は保健室で寝かせてもらうこともありました。次第に「私は特別だから仕方ないんだ」と思うようになり、人を見下すようになりました。

また、塾に通う電車ではなんども痴漢にあいましたが、母に言っても取り合ってもらえませんでした。このことは男性に対する嫌悪感を助長するとともに、誰も助けてくれない、自分しか頼れる人はいない、というマインドセットができる一因となったように思います。

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そして今、この小学校の頃の恐怖の記憶を解放する時期が来ているように感じています。

  • 絶えず勉強し続けなければいけない、という切迫感。
  • 男性は自分を性的対象としてしかみていない、という男性に対する強い嫌悪感。
  • 誰も助けてくれない、頼りにできるのは自分だけ、という偏った考え。
  • 同年代の人たちとは親しくなる前に距離を置こうとする疎外感、孤立感などです。

なかでも常に勉強しなければ(母に)怒られる、私は完璧ではない、今の自分は不完全な存在だ、という切迫感はとても強く、しかもつい最近までほとんど無意識下にありました。

翻訳の仕事をしながら翻訳講座を受講している時も、実家に帰るとそのことを母にアピールしている自分を心のどこかでは少しおかしいと感じていました。今でも自分が何もせず寝転んで休憩しているときに母の足音を聞くと、さっと起き上がってしまいます。この強いマザーコンプレックスの解放は、生まれの月と空の冥王星が重なっている今年のテーマでもあります。

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自分自身に何かが足りないという欠乏感からでなく、自分は今のままで完璧な存在である、という確信がある状態で何かを新たに学ぶというのはどんな体験だろう、と考えてみました。

それは好奇心のままに、世界が開かれていくような感覚だと思います。赤ちゃんが歩くのを習得するように、ただ内面のインスピレーションに導かれるように、新しい世界への扉が開かれていくような感覚です。

うん、占星術はまさにそんな感じで学び始めました。夢中になって没頭しましたし、全く疲れませんでした。

しかし、仕事にしようと決めてから、「今の私の技量では不十分だ、もっと精進しなくては、足りない、足りない、」という恐れが出てきて、もっと勉強しなければ、全然足りない!!と占星術が次第に苦しいものになってきていました。お金をいただく以上は完璧にこなさなければいけない、という強迫観念が私を苦しめ始めました。

ここで再び添乗員さんの話

カナダ旅行では、ツアーの全行程に同行してくれる添乗員さんのほかに、現地ではそれぞれの土地に詳しいガイドさんが案内してくれました。私たちのツアーの添乗員さんはゆったりとしたリラックスした雰囲気のある方だったのですが、現地ガイドさんはなぜかみな、とても緊張していて、何か粗相があってはいけない、とピリピリしている人ばかりでした。

土地の説明は完璧だけど、声が緊張しすぎていてマイクが耳障りだったり、人数確認に必死で目も合わせてくれなかったり、とにかく仕事で失敗があってはいけない、という緊張感が顔つきや声、態度からピリピリと伝わってきました。

私たちのツアーの添乗員さんが常に自分と旅行者への愛に満たされている状態であるのに対して、現地ガイドさんは「何かあったら責任問題だ、失敗は許されない」という不安でいっぱいなのがひしひしと伝わってくる、というわかりやすい対比がありました。

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恐れでいっぱいの人と一緒にいると、たとえ仕事が完璧であっても、とても疲れるし、不安な気持ちになるということ、少しくらいミスがあってもゆったりと構えていて、鷹揚に対応してくれる人の方が安心できるということがよくわかりました。これも私の内なるガイドさんがわかりやすいように示してくれたメッセージだと思っています。

というのも、がんばりまくる現地ガイドさんの姿を見ていて、私も全く同じことをしていたことに気がついたからです。

クライアントさんに100%、全力で伝えるべきことを伝え、聴くべきことを聴き、知っている技法を残らず駆使してホロスコープを分析し尽くし、私にできることをできる限りやらなければ、と力を入れすぎるあまり、準備段階で疲弊してしまい、気が重くなっていたのでした。「ありのままの自分では足りない、不十分」という幼少期からの恐れが再生していたのです。

それよりも自分自身でいること、完璧を求めないこと、一緒にいる時間を楽しむという姿勢でいることの方が、クライアントさんに提供できるエネルギーはずっと良質のものになる、ということに遅ればせながら気がつきました。

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この「エネルギーで物事を測る」というのもカナダ旅行中にインストールした考えのひとつです。

現代社会は年収、学歴、経歴、社会的信用度、家柄などで人の価値を図ろうとしますが、実際にはその人の放つエネルギーが現実世界に投影されているので、フォーカスするべきはエネルギーなのだ、ということにようやく目が向きました。

サービスや商品も、どんなエネルギーの場で、どんなエネルギー状態の人から買うか、というのを人は無意識のうちに感じ取っています。そして、自分が自分に対して感じているエネルギーに見合うものを買い、見合う人となじみになるのです。

今までそのようなものの見方をしたことがなかったのですが、これはとてもわかりやすい指標だと思います。

このような様々な気づきから、目下お仕事の仕方を調整しているところです。

 

現在、心理占星術の講座を受講していますが、これも「完璧に習得して、すぐさまセッションに活かさなくては」という切迫感があったことに気がついたので、特に何かを「勉強する」「学ぶ」時には気をつけて自分の内面とのつながりを意識することにしました。

「私は不十分」という恐れからではなく、「私はすでに目指すものになっている」という安心感、自分自身への信頼と愛から新しい世界を受け入れていきます。

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おまけ 書くことによる癒し

書くことによって、旅先での気づきを少しずつ整理することができました。

ちなみに私が長年ブログを書き続けてきたのは、書くことによって自分の内なる神、源、ソースと繋がることができるからです。書くと必ず気づきがあり、癒し、統合が起こるため、書かないでいるとどうしてもイライラしてきてしまうのです。今は祈りや瞑想、散歩も「繋がる」ツールになることがわかりましたが、書くことは私にとっては一番強力なツールです。人によってツールは様々ですが、書く、というのは割と普遍的に通用するものだと思います。みなさんもぜひ書いてみてください。

以前読んで面白かった書くことに関する本たちです。

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