理想の一日とこの世との折り合いについて

カスタマーリンク

毎日朝起きてからまず何をするか。これはいつも考えているテーマだ。日課をいつも考えているということは,日課が習慣として定着していないということでもある。なぜ定着しないのかというと,すぐに手直しするからだ。これはいいと思ったら,すぐに習慣づけようとする。そして新しい習慣が定着する前に,また別のアイデアを取り入れたくなる。

そもそも日課をちゃんと続けるためには,朝起きて何をするのだったか,すぐに思い出せる必要がある。そう思って付箋に書いて手帳の目立つ(とその時は思っている)場所に貼っておくのだけど,そもそも手帳を朝一番に開くのを忘れてしまうと意味がない。

ぼびおは朝はかなりねぼけている。昨日とのつながりがあたまに立ち上がってくるのは,何の刺激もない場合,ほぼ夕方になってしまう。ほとんど記憶障害の域だ。小川洋子の小説『博士の愛した数式』には,記憶障害に陥った数学者が自分の身体にメモをピン留めする話が出てくる。ぼびおにとっての手帳はまさにあんな感じなんだけど,手帳をひらくということ自体を忘れてしまうとどうしようもない。

最近は手帳に何か大事なことを書いた,というところまでは思い出せるようになってきた。しかし,いざ手帳をひらいても,どこに肝心の日課を書いた付箋が貼ってあるのかがパッとわからない。ぱっとわからないと,なんとなく手帳を書き始めてしまう。そうすると,せっかく一週間,半月ごとの視点を忘れないようにと取り入れたフランクリン式の手帳術がまったく生かされない。かといって,日課を書いた付箋を手帳の表紙に貼ると,すぐにはがれる。

なぜ付箋がパッと目立たないかというと,ほかにも忘れたくないことを同じ形の付箋に書いて貼ってあるので,埋没するというのがひとつ。たとえば,次に帰国した時に買うもののリスト,思いつきのミッションステートメント,時間を無駄にしない,という決意を記した付箋などがある。それからノートにフランクリンプランナー形式のマンスリーとウィークリーを印刷した紙を貼り付けているので,印刷して貼った紙と付箋とが渾然一体となって,付箋の存在が目立たない。

というわけで,日課を頭に入れるためにひとまずブログに書き出してみようと思う。ブログ記事にして書いておけば整理できるだろう。

ぼびおの理想の一日

5時〜6時 起き上がる前に夢を思い出す。それからタロットカードを使って瞑想する。

朝は起き上がる前に夢の内容を思い出しておきたい。これはまだあちら側と意識が繋がっている時間にしかできない。夢を使ってもうひとりの自分と繋がれるようになっておくのが最近の目標だ。思い出した夢の内容はあとで手帳に書いておく。

さらに松村潔先生のタロット道の一環として,タロットパスワークもするのが理想だ。ただ寝起きを利用してパスワークをすると,たいていクリックアウトしてしまってビジョンを覚えていられないのが難点。なれれは覚えていられるようになるらしい。

6時〜7時 着替えてジョギング

これはその日の体調によって,夕方にふりかえたり,しない日もある。

7時〜8時 シャワー,朝食

ひとりならここで同時にツイッターをみたり人のブログを読んだりする。松村潔先生の雑記は必ずチェックする。勝間さんのサポートメールも読んだり読まなかったり。

8時〜9時 掃除,洗濯

何よりもまず部屋を掃除したい。掃除していない部屋では集中できない。できるだけ清められた場所で過ごしたい。自分で掃除した場所は一番落ち着く。

9時〜9時半 手帳タイム

手帳を開いたら,まずモーニングページを書く。と言っても規定通り3ページも書かない。その日やることを思い出すまで,表層の雑念を書き出していく。

ミッションステートメントとウィークリーページの今週やることリストを見て,その日にやりたいことを書き出す。(ミッション・ステートメントはまだまだ完成途上だ)

9時半〜10時 その日のトランジットをチェックする

10時〜 知的生産活動=読書と執筆 休憩と運動がわりにヴァイオリンの練習

とまぁこんなに順調にいけばいいのだけど,途中に色々思いついて脇道にそれるので,全部やっているうちになぜか一日が終わっていることがままある。

とはいえ,こうして書き出してみると,これで自分は満足するのだな,ということがわかる。ジョギングするのだって,そのあとはずっと書き続けていたいから。走らずに書いてばかりいると,精神的にも肉体的にも不具合が生じるので,自発的に走ることによってガス抜きしているのだ。要は落ち着いた環境で読み書きができれば満足できる。一日中書いて,疲れをおぼえた時に人間としての充足感を感じる。しかし,そういう落ち着いて読み書きできる環境を確保するのは案外難しい。不意に誰かがドアを叩いたり、ごはんどきだから集合するように言われたりすると,頼むから静かにしてくれ,と思う。

今のぼびおはほぼ理想通り,パートナーのおかげで金銭的心配をすることなく,海外にいれば家族に邪魔されることもなく、悠々自適に暮らしていられる。いわゆる猫の暮らしをさせてもらっている。松村先生のいうところの高等遊民に近い。スタピ的高等遊民というのは,金銭収入の多寡には関係ない、お金がなくなれば餓死することもいとわないというものだ。そして,そこまで行くとたいてい環境の方が根負けするらしい。そんなもんなのかな。自分にそれほどの覚悟があるのかどうかはまだわからない。合意的現実に照らせば,自分はただのニートだと思っている。

2017年にひらかれていた松村潔先生のオンラインサロン,松村塾が終了になってから,これからは現世,合意的現実とちゃんと折り合いをつけようと思って2018年3月から勝間塾に入ってみたのだった。自分の力でお金を稼ぐという幻想にまだまだ執着があったのだ。松村先生の提唱するスタピ的タロット道を追求するうえで,タロットカードの1〜10,現世的体験をもっと十分に確保する必要があるとも考えてのことだった。

勝間塾は勝間さんの知的生産活動の産物だ。そして,この世という合意的現実を生きようとする人にとってはきわめて有用なものである。しかし,すでにわかりやすいかたちでの成功とか社会貢献とかそういうことに関心が持てなくなってしまったぼびおには,どうしてもなじめない空間だった。頑張って合わせようと思ったけど,その気力は続かなかった。二極化された価値観,善悪がはっきりしている世界にどうしても入っていけないのだ。

もうひとつ勝間塾に入ってわかったのは,自分がどうも「人とのつながりが人類に利益をもたらす」という文化圏に居続けることが苦手だということだ。それはアジアの社会文化圏,地球であてがわれた家族との関係,オンラインサロン,SNSなどなんにせよ,声をかけ合い,互いに支え合い,互いのためになることをするべきという価値観が押し付けられる社会のことだ。

松村先生の占星術オンラインサロンが素晴らしかったのは,1年で解散する,と先生が宣言していたことだった。それで安心して所属していられたのだ。持続的人間関係ほど煩わしいものはない。本当に持続的関係を持ちたいのはパートナーだけでいい。ほかはいつでも清算可能にしておきたい。

そういうことを実感したので,勝間塾は2ヶ月で退会した。それでも,今後数十年はこの世界で生きて行かなければいけないので,後学のために勝間さんのサポートメールの会員権は継続している。合意的現実との折り合いポイントを見つけること,そもそもそんなものを見つける必要があるのか見定めることがぼびおの目下の課題だな。

カスタマーリンク

アクセス

line@でも配信を始めます。よろしくね。
友だち追加

日々のぼびおはAmebloでお見せしています。