理想と成熟を目指すことの危険性

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みなさんこんにちは、占星術カウンセラーのぼびおです。

7月の三連休の中日に奈良女子大学へお出かけしてまいりました。

放送大学の大山泰弘宏先生による「臨床心理学に魅せられて」と題された講座に参加するためです。

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講演者の大山先生ご自身がなぜ臨床心理学を志すようになったのか、ご自身のストーリーと体験から得た知見を交えて、心理臨床とはどうあるものかを語ってくださいました。

この講義を聴いて一番衝撃的だったことは、カウンセラーも現在進行形で悩み、苦しみのなかを生きている、ということです。

何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、臨床心理士は教育分析という普通のカウンセリングと同じ内容のカウンセリングを資格取得までに何度も受けなければならない、と聞いていました。そのため、資格を持っている人はある程度自分の問題を乗り越えていて、そうそう悩みや苦しみに左右されることはないのだろう、と思っていたのです。

そのため、ぼびおが占星術カウンセリングをするにあたって、「こんな私のままで始めていいんだろうか」「もっと精神が安定して、乗り越えた体験を蓄積してから始めるべきなのではないのか」と心の中で葛藤していました。

しかしそうではなく、「臨床心理の世界では完成したと思ったらダメになる。苦しみを生き抜くこと、模索し続けることが臨床心理である」とおっしゃられていました。

それとともに日本の心理療法の父とも言える河合隼雄先生から、「30代なら30代にしかできないカウンセリングがある。僕にも以前できたことで、できなくなったことがあるんや。今しかできないことをやっていきなさい」と言われたそうです。

ある道を進んでいって、その道の大家、プロになれば、若輩にはできないことができるようになる。どんどんすごくなる!と思い込んでいただけに、若輩者にしかできないこともある、という視点は、常に成熟と向上を求めてきたぼびおにとっては目から鱗でした。

確かに、たとえば今、失恋したばかりでとても不安定、良く言えば感受性が豊かな状態だからこそ、できる占星術リーディングやセッションがあるはずです。反対に、精神的にもっと安定していた時にはできなかったことが今できて、今できることがまた安定したらできなくなるでしょう。占星術セッションに申し込んでくださる方は、その時どき、ご縁があるからこそ出会うんだ、ということです。

さらに、この講座のおかげで、私がずっと抱いていた「人間は少しずつ成長し、成熟していく」という考えの危険性にも気がつくことができました。

大山先生は、臨床心理学に出会い、ずっと悩んでいた「自分を知る」面白さを感じ、クライアントさんたちの小説よりも奇なる生き様を知るにつれて、自分の弱みが強みになり、学生時代に学んできた抽象哲学が眼前に立ち上がっていくような喜びと自信を感じられたそうです。

しかし、次第にそこに違和感を覚えるようになったと。なぜなら人間をより高め、より深めるということは、人間改良のテクノロジーにほかならない、からです。

言い換えれば、「今のままではダメ。もっと良くなれるよ」という現状否定がベースになったカウンセリングをしてしまっていた、と反省されたそう。

これは私もずっとモヤモヤしていたことでしたので、目が開かれる思いでした。

「この苦しみから抜け出して、あの人みたいにキラキラ輝いて活躍できるようになるための秘訣があるんじゃないか」

「今まで私が変わるのを助けてくれたノウハウを綺麗に組み合わせれば、絶対に幸せになれる手順として世に広められるんではないか」

とにかくこのままの自分ではいけない。変わらなくちゃ…

とずっと思って生きてきました。そのおかげで楽になったこともたくさんあるし、生きやすくなったこともたくさんあります。

でもその一方で、いわゆる占いジプシー、セミナージプシー、自分探しの罠、というのもここにあるのですね。

「どこかに青い鳥がいるはず」という思い。今の私の手元には不完全なものしかなくて、それは愛する価値がない、という思いです。

 

大山先生が指摘された通り、これはまかり間違えれば、20世紀の理性が最大限に発揮されたナチスの政策そのまま。

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http://ghdi.ghi-dc.org/print_document.cfm?document_id=2040

この絵はナチスが推奨する理想的なドイツ人の家族像を描いたものだそうです。何ひとつ「おかしな」ところがない、「健全な、あるべき姿」が描かれています。

この「正しさ」の圧力こそが現代人の心を苦しめる根本にあるんですね。

 

「こうあるべきなのにそうじゃない私(はダメ)」

「なぜ私はこうあることができないのだろう」

「もっと頑張ればこうなれるはずだ!」

 

ぼびおは36年間ずっと、この独り相撲をやってきました。

親に認められる人と結婚して子供を産むこと、さもなくば社会のために学歴と自分を活かしてキャリアを積むこと、自分にできることをきちんとやって、お金を稼ぎ、誰にも迷惑をかけずに生きること、パートナーとは手に手を取りあい、互いに高め合って添い遂げること…。

 

それができないからといっては何かがおかしい、と自分や周りの人を批判して、自分を殺して、痛めつけてきました。ナチス・ドイツがユダヤ人に対してやったことと同じことをやっていたのでした。

大山先生のお話でそのことに気がつき、涙が止まりませんでした。

 

何か「正しい生き方」の方法があって、それを探し出せば、どんなクライアントさんがきても満足のいくカウンセリングを提供できるはず、そのために勉強を続けなくては、という傲慢な考えがあったことを思い知らされました。

そんなものはなくて、ただ今の私のまま、人や出来事と出会い、その出会いに感謝するだけなんだと。

自分の足では歩いたり、立てなくなった人たち、足を一歩前に出すことができなくなった人たちのかたわらに立つのが「臨床」であるとしても、そんな人たちを支援する占い師やカウンセラーも「正しい答え」を知っているわけではない。クライアントさんと同じように生老病死、愛するものとの別れ、憎むものとの会合、求めるものが手に入らず、肉体と精神が思うようにならない四苦八苦の苦しみを生きている。

カウンセラーにできるのは、心理学や占星術の知識を携えたまま、ただそばにいて話を聞くこと。他者としてあなた(のホロスコープ)をみて、「あなたはこんな可能性があるようですが」と伝えることだけです。

ぼびおはずっと、究極の姿、恒星を目指していたけれど、そのためには縁に任せて出会いに感謝し、自分がどこへ流れていくのかを楽しんで観る、という姿勢が必要だったのです。

この「自分でどうにかしたい」という傲慢さを手放せずにいたからこそ、恋人に有無を言わずに別れを告げられて、究極の受動、死に近い体験をさせていただくことになったのか、とも思っています。

 

三連休の最後の日は、熱を出して寝込んでいました。ネガティブな考えに襲われて、とことん辛い気持ちになったまま、体の節々、頭の痛みを感じながら寝るしかありませんでした。

両親とも外出中でひとりで家にいると、弟家族がやってきたので、居間で寝転がりながら、甥や姪たちと同じ空間で過ごしました。

このときに以前から感じていたことをはっきり実感しました。それは、ただそばにいてくれるだけでいい、ということ。それだけで、癒されるということ。楽になるということです。人間ってそういう力がある。

ぼびおはずっと、ひとりでいるのが気楽でいい、と思って、出来るだけ人と関わりたくないと思いながら、実際にそうして生きてきました。確かに単独者として孤独な時間に自分と向き合って過ごすのは、大切なことです。

ただ、心身が弱っているとき、自分ひとりで途方にくれているときは、誰かの寄り添いがあるととても助かるのです。大山先生も、自分ひとりでは決して人は変わることができない、とおっしゃっていました。

 

占星術でいうと、「理想を目指す向上心」は火の元素。
「事象を分析、分断する知識」は風の元素。
「心や感情」は水の元素が表します。
その三つが融合したものが「物質」を示す土の元素です。

水は火で温められ、または植物(火の元素)が吸い上げて蒸散し、風に乗って対流することによって生命を育みます。

しかし、火と風が強すぎると乾燥して干上がってしまい、心(水)が干上がると、次第に心の容れ物である肉体(土)もひび割れてきます。砂漠に何も育たないように。

どの元素が強すぎても生命は育たないのです。タロットカードの完成を示す22「世界」のカードは、この四つの元素がバランスを取り戻した状態を示しています。

これか難しいんだよね。人は必ず元素に偏りがあるから。でも大勢が協力することによって、元素の偏りがかぎりなくゼロに近づいていく。

人生経験を通じて大勢の人と関わることの意味は、そこにあるような気がしています。人との出会いの中で、自分のなかの偏りを少しずつ元に戻していくことに。人生を超えた視点で見ると、向上ではなく、源への回帰の道のりなのかもしれない。今、この一生がたとえどれだけ偏っていても、ほかの人生と合わせてパランスが取れていればいいんでしょう。

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