友人の存在がいかに希望となるか

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本日2本目の記事。長くなるので分けました。

今日、彼女と別れ話をしたあと、でもやっぱりどうしても好き、でももう元どおりにはなれないかもしれない、という絶望に襲われて、ホーチミンの彼女の部屋で、彼女の留守中にひとりどん底まで落ち込んでいたぼびお。

あまりにも辛くてたまらなかったので、数少ない親友にメッセージをしてみました。

自分から友人に連絡を取るのは稀で、誕生日にお祝いのメッセージをするくらい。ただ今回は、パートナーとの関係が危機にある、とは言って伝えていました。

今の状況を伝えたあと、数回のメッセージのやり取りをしただけでしたが、気がつくと気持ちがとても楽になっていることに気がつきました。

 

もうびっくりするくらい。そして、そのことに心の底から感銘を受けました。

あんなにも辛かったのに、息ができなかったのに。絶望から希望が見えるようになりました。

 

今まで「友だちなんていったい何のためにいるんだろう」という姿勢が、大人になってからはマシにはなったものの、心のどこかにありました。

それはもちろん、ここで書いたように、子ども時代に友だちを作る経験がうまくできなかったことと関係があると思います。

塾の友達は頭が良くて、成績のことばかりだし、中学に入ってできた親友は(今思えば類ともで)心の傷を抱えていて、「信頼できる人はこの世に一人もいない」と言い、結局私もその言葉にひどくショックを受けて、そこからどんな友人ともうまく信頼関係を作ることができませんでした。

 

今のパートナーと出会ってから、ようやく「本当に心を許せる相手」ができて、少しずつ傷が癒えて、職場で親友と呼べる人ができましたが、それでも友達、という人間関係がこんな風に自分を助けてくれるなんて夢にも思ったことがなかったのです。

 

だから悩みがあるときは、ノートに書いたり、本を読んだりしていつでもひとりで解決しようとしてきました。

 

でも今日の体験で、信頼できる友人に話を聞いてもらえることの力強さを目の当たりにして、

「これなら、今後もし決定的に心に傷を負ったとしても、生きていくことができるかも」と思うことができた。これは本当に大きな学びでした。

友達に相談するのが当たり前の人にとっては、こんなことで驚いている36歳がいることに驚くかもしれません。

私はパートナーと出会ってから、彼女が一番の親友で、恋人でした。だから数少ない友人を「たまに会って近況をやり取りする人」という程度にしか認識していなかった。その貴重さを本当には理解していませんでした。

もちろん相談されれば真摯に話を聞くし、できることがあればしてあげたいと思っていたけど、

自分が人生で最大レベルに落ちている時にこれほどまでに希望を与えてくれるというのは思いもしなかったです。

 

このことがわかっただけでも、この辛い経験をした甲斐があるとおもいました。人生には、まだまだ私の知らない明るさや希望があるんだろうな。

今日はそんなところです。

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