改めて、在家での働き方を考える

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在家生活で瞑想合宿10日間コース直後のキラキラがすっかり落ちてしまいました。が、朝晩1時間ずつの瞑想はかろうじて続けています。

本当はお昼間に坐禅したいけど、仕事を再開することにしたので、朝晩だけでもできればよしとします。

仕事って今のところはブログを書くことと、やっぱり翻訳業を再開できるように準備中です。

占星術の鑑定は仏道的にアウトらしいので、もっと修行が進んではっきりと占星術を用いたカウンセリングそのものの性質が見極められるようになるまでお預けとすることにしました。

日々の瞑想を始めてからというもの、ダラダラ寝転んでいるうちにあっという間に時間が経ってしまった、ということがなくなるとともに、何かしら社会に役立てるような仕事をしよう、という気持ちが出てきました。

ではどんな仕事をしようかというとき、人生の究極的目標を解脱に置いているため、自身の煩悩を増やしにくい仕事であることが条件です。そして、少しでも人々の怒りや欲望が少なくなることに、せめて増えない方向に貢献できる仕事が望ましいかと。

このところ、またすぐに焦りや慢心、自我への執着が出てきます。そうした煩悩に飲み込まれないように坐禅する時間を確保できる仕事をしつつ、少しずつ社会復帰できればと思います。

人生は自分で主体的に作り上げるもの、というのは幻想で、これまでに積み重ねてきた記憶(煩悩)を何度も何度も再生させながら、刺激の入力とそれに対する反応が今の日々を作り出しているにすぎません。

瞑想はそこにストップをかけて、刺激に対する反射記憶を少しずつ消していく作業です。煩悩が減ってきて、外界からの刺激をフィルターをかけずにありのままに受け取ることができるようになると、刺激に対して最適な反応を自動的に選ぶことができるようになる。ただただ瞑想を続けて記憶を浄化、クリーニングし続けていれば、自分のやるべきことはおのずから明確になってくる、と小池龍之介師も説いています。今はそれが「人生の波に乗る」ということだと解釈しています。

 因果応報で間違ったことは起きない。おべんちゃらばかりを言うように見える人がいても、それはひとつの能力。上司の機嫌を悪くせず職場の和を取り持っている。仕事の遂行能力以外にも、見た目とか愛想のよさとか謙虚さとか、人柄の明るさや暗さも、全部足したものが能力です。自分だけ認められないと文句を言う人は、もっと狭い、仕事の遂行能力だけを見て言う傾向がある。学歴が高い人にありがちです。

(中略)

適切に精進するために自分の力を見極めたら、それ以下にセーブするのは怠慢です。かといってそれ以上の力を出そうとしたら疲れ果ててしまう。それも適切ではない。自分がクタクタにならずに済むのはどのジャンルで、どのくらいまでならできるか、を理解した上で常に限界まで力を出す。すると毎回達成できたという心地よさが維持できて、自己嫌悪に陥るとか、やる気がしないからその前にちょっと休憩しようとか、そういう循環に陥りません。

(中略)

言葉やイメージにだまされないで、実際にそれをやっている時の居心地のよしあしで仕事を選んだ方がいい。仕事に限らず人間は集中できなくなると居心地が悪くなるものです。考えごとが多いと居心地が悪く、無心に集中できれば心地よくなる。集中しにくい傾向のあるクリエーティブな仕事よりも、草むしりとかそうじとか一見つまらなそうな単純仕事の方が集中できて、気持ちがいい。居心地がよく、安定している、生き物としてまっとうな生活を送れる仕事を選んだ方が幸福度は高い。IT企業や広告会社、マスメディアよりは、伝統的な仕事の方を私としてはお薦めします。

ー小池龍之介さんの朝日新聞DIGITALのインタビュー 「やりたい仕事」って錯覚かも より

翻訳作業をしていると、本当に自分がただの機械だなぁ、と感じます。いずれ人工知能に取って代わられるというのがよくわかります。あらゆる人間の知能がただの神経回路の機械的働きなので、仕事はいずれAIに置き換えられるのでしょう。何のために生きるのか。今の時代は「働くこと」に重きがおかれていますが、本来は生きている間に記憶を浄化し切ったら(輪廻転生から)「アガリ」の人生すごろく。修行だけではなく、仕事も家庭生活も全てが煩悩の浄化、記憶のクリーニングのためのものだということを忘れずに生きていきたいです。

煩悩フリーの働き方。 (角川文庫)[Kindle版]

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